留学者インタビュー

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アメリカ合衆国フロリダ。議論することの大切さを知った旅。 東北大学医学部医学科4年生 島岡佑典

どちらに留学されたんですか?

佐藤史哉くん・奥富雅俊くんと同じハーバード大学医学部の、別のフロアにある感染症関連の研究室に行きました。分野は免疫学。ワクチンについて研究してきました。
ワクチンと言ってもいろいろあって、僕はコレラのワクチンでした。コラボレーションした研究者がいままでのワクチンではない「新型ワクチン」を開発していて、僕らはそれの効果を高めるというのがコンセプトでした。

コレラのワクチンですか。効果を高める方法というのは?

レーザーアジュバント(Laser Adjuvant)というんですが、レーザーを当てて効果を高めるという技術です。僕らの研究室はそれが十八番で、インフルエンザのワクチンで、レーザーを1分間照射したあとにワクチンを打つと通常よりも効果が高いという論文を出していて、コレラでも同じことが言えるんじゃないかということで。僕はその研究をしました。

やはり他の同級生の皆さんと同じように国内で研修を行ってから向こうへ?

いえ。僕の場合は本当にギリギリだったもので、こっちでやれたのは本当にちょっとだけでした。
せっかく向こうに行くんだから、生活なども含めてなるべく長く体験しよう、なるべく早く行ってなるべく遅く帰ってこようと思ったんです。なので、帰ってきたのが3月30日の夜中だったんですよ。こうなると思っていなかったんですけど、なんと4月1日に朝から学校があるっていうんですよ。あっち行っている間にそれが分かって。初っぱなの講義は完全に時差ボケの中でした。

長い海外生活、どうでした?

楽しさの反面、やっぱり日本に戻りたいなっていう気持ちがありましたね。
ご飯とかも2か月くらいは「アメリカ食最高!」って思って。ハンバーガーがむちゃくちゃ美味しいんですよ。あっちだと、どのレストランに行っても大体メニューに載ってるんですけど、そのレストラン独特のウリがあって。「ソースが美味しいですよ」とか。向こうのハンバーガーってこうドーンと大きくて、むちゃくちゃジューシーで、ナイフで切って食べるって感じなですよ。そういうのを目一杯楽しんでました。
でも2か月を過ぎたアタリから「そろそろ日本食が食べたいかな……」っていうのが出てきて。お寿司が食べたいなぁとか、ちょっと親子丼作ろうかな、とか。

親子丼作ったんですか?

作りました。向こうにアジアンショップみたいなのがあるので、そこで醤油やらみりんを買い込んで。醤油の味が懐かしくなるんですよ。あとみりんの「砂糖じゃない甘さ」が。もう、やっぱり食べたくなるんですよ。

それを作れたということは、ホテルにいたわけじゃないってことですよね?

はい。僕はシェアハウスのひと部屋を借りて住んでいました。同じ家のなかにオーナーの方と、男性の大学院生2人と、女性の研究員の方1人と、合計5 人での共同生活でした。で、たまに会って練習がてらに会話してました。

なるほど。研究だけじゃなく、生活というところでもしっかり経験を持てたわけですね。
語学力は伸びましたか?

それですよね。行く前よりはやっぱり伸びましたよね。
でも研究分野になるとディスカッションしなきゃならないんですよ。「俺はこう思う」とか「そこ違うんじゃないの」とか。それを全部英語でやらなきゃならないんです。5か月間の留学期間は結構長いかなと思ったんですけど、なかなかそういうレベルまで行けなくて。何とか聞いて、たまに自分のことは言えるけど、対等にディスカッションなんてまだまだ。「もっと練習しなきゃダメなんだな」っていう壁を感じて帰ってきました。

長期間滞在を目指したということでしたが、事前の研究の期間が短かったのは壁になりませんでしたか?

元々僕が選択した研究室は、がんについての研究が多かったんですが、僕が向こうでやっていたのはワクチン。やって来た内容がほとんどオーバーラップしてなくて、むしろ向こうに行ってから初めて新しい実験のやり方を英語で教わったんですよね。

最初が英語って刺激的ですね。

そうなんですよ。もう何度も質問したりで。自分の先生役をしてくださった方がとても親切で「まずは見ててね」「次は一緒にやるよ」「じゃあ最後はユースケだけでやってね」みたいに段階を踏んで教えてくださったので何とかなったんだと思います。
これがババーっと説明して「それじゃやってね」という方だったら、多分ダメだったでしょうね。
これからの自分の将来にとって、やっぱり語学は大きな存在になるんでしょうね。

将来何をやりたいか決まっているんですか?

留学する前は漠然と「アメリカで働けるのかっこいいじゃん」と思っていて、あこがれみたいなものも持っていたんですよ。
でも、実際に行ってみると厳しさとか実際にやっている方々の本気度を目の当たりしてしまって。それで「生半可な気持ちでアメリカに行きたいなんて言えないな」って気づきました。
だから「まだ決まっていない」が答えです。
臨床をやりたくて医学部に入ったっていうのもありますし。
さっき史哉くんたちも言っていましたが、2年間とか3年間とか、短期の留学ならまた行ってみたいなと思います。

確かに研究は競争でもあります。
また、研究費用を元に経営的な判断も必要になりますし。

そうですね。アメリカの研究者は人を雇って研究してもらうわけですから、サラリーについても考えなきゃならない。そういうのも少しだけ見てきました。本当に見てるだけしかできませんでしたけど。専門の知識だけじゃなくて、そういう方向での勉強や経験値も必要になってくるんだということは理解しました。

学校では勉強できないこと、ですね。
そういういろいろな経験を積むことができる留学。
これから留学を目指す後輩や高校生たちにアドバイスはありますか?

英会話は現地に行ってからが勝負、でしょうか。
事前に英会話を身につけてから、と考えている方が多いかと思うんですが、多分それは「土台を作る」という意味なんですよ。僕もそれほど事前に勉強したわけじゃありませんけど、実際に行ってみると向こうに行ってからの方が「身に着いた」気がします。勉強で理解するのとはまたちょっと違う感覚です。なので、もしかしたらですけど、事前の勉強は短くして、できるだけ向こうにいる時間を長くしたほうが英語のプールに浸かる時間も長くなるので良いんじゃないかと思います。いろんな体験もできますし。

英語のプール。いい言葉ですね。

本当にそういう感覚ですよ。周り全部が英語ですから。
話さなきゃっていう焦りがないと自分でも準備しないんですよ。
僕、最初は「シャイボーイ」って言われたんです。全然喋れなくて。「なんだ、ユースケそんなにしゃべんないじゃん」みたいな。それが凄くイヤでした。元々黙ってるのも好きじゃありませんし。だから「次に会ったらこの話をしよう」とかいろいろ考えて、前の日にちょっと英作文したり、表現を調べたりしてから行ったり。お陰で少しずつ話せるようになっていきました。シミュレーションがどんどん重なっていった感じですね。それがいい練習になった気がします。

その5か月で仲良くなった人はいましたか?

僕は研究室にいることが多かったので、その先輩方とよく話をしたりしました。僕が行ったときは日本だと冬の時期だったんですね。その季節だと、残念なことに同年代の学生はインターンに行ってしまっていて、あまり学内にはいなかったんですよ。
なので僕が話していたのは、もっぱらポスドクのお兄さん・お姉さんたち。
冗談を言い合うような仲良しにはなりませんでしたけど、研究についても見てもらえたし、人生の先輩としてのお話を伺えたのがすごく良かったです。
あとはお子さんが日本のアニメをめっちゃ好きっていうお母さんとかもいらっしゃったので、そういうときは盛り上がって楽しかったです。

そして、あっちでは佐藤くんたちとも会ったり?

会いましたねー。初めて会ったのが、シャトルバスを待っている時に「あれ? 見たことあるやつがいるなー」と思ったら史哉で。なんだよ来たなら言えよと。
向こうでも何度か一緒に食事に行ったりしましたよ。
それまでは一人だったんですよ日本人としては。だから来てくれて嬉しかったですね。

学内で会うのとは違って見えた?

はい。もう救世主に見えました。

そうやって同じ学部の仲間が海外で一緒に学べるっていうのは面白いですね。

そうですね。とても良いシステムだと思います。向こうで会えるとまた違った感じなので仲良くもなれますし、一緒に話し合えたりもしますし。

ちなみに、その厳しい世界の研究なんですが、島岡さんのやっていた研究の成果はどうだったんですか?

まだ論文になっていないデータなのでどこまで話していいかわからないんですが……一応次の実験に繋がるデータになったみたいなので頑張った甲斐があったかなと思います。

とにかくいろんなスタイルでいろんな経験を積むことができるのが東北大学医学部の留学だと思います。

後輩の皆さんやうちの大学を目指そうという高校生の皆さんにもぜひ挑戦してもらえればと思います。

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